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生涯現役は続行中です(2017年10月号 篠塚建次郎さん)

レースに欠かせない存在

sinodukaめがね.jpgメガネが持つポテンシャルに目覚めると、不思議な縁が待っていた。それが現在、愛用しているアイメトリクスだった。
「メガネはレースでも掛けるべきなんだと考えていたときに、縁あってイワキメガネさんとお付き合いさせていただき、アイメトリクスと出会いました。そのスタイルからフィット性の高さが伺え、これはレースにもきっと活躍できると思い、レース用として第一号のメガネとなりました。先ほども話したとおり、とにかく良く見えるのはもちろん、快適な装用感。パリダカでそのメガネがデビューしましたが、これを掛ければもう一度WRCで勝てるんじゃないかと思わせてくれるメガネでした。それ以降、競技で掛けるメガネがいつもこのメガネ。度数が変わっても同じレンズデザインにしてもらい、大切に使っています。そうそう、僕のメガネ姿があまりしられていないのは、ラリーレースの特性があるんです。メガネを掛けるのはレースの時だけですが、ラリーというレースはのべつまくなし競争をしている                           わけではないんです。たとえば今日、目黒をスタートして、新宿まで行く。目黒駅付近は人がたくさんいるからそこでの競争はしないんです。駅から1㎞くらい離れたところから競争が始まり、そこでメガネやヘルメットを装着します。そしてゴール地点の新宿駅に近付く1㎞手前のところで競争が終わり、そこからはヘルメットやメガネを外してしまうのでメガネの印象がないんです。また競争時もヘルメットを被っているから表情まではつかみにくいですね」
いずれにしてもメガネによって視力が矯正され、レース人生の中盤からは、「キレイに見えてビックリ」という言葉通り見る世界は大幅に改善されていったようだ。パリダカといえば砂漠がイメージされる。自然の偉大さに圧倒されるが、ドライバーにとっては見る力が求められるようだ。

日本人初の快挙

shinoduka左縦.jpg三菱自動車に入社し、業務をメインとしながらもレースに参戦し、頭角を現していく。71、72年と全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得するほか、76年のWRCサファリラリーでは日本人として初完走、6位に入賞するなど、輝かしいサラリーマンドライバーとしての活躍が始まる。しかし自動車業界に暗雲が立ちこめる。それが排ガス規制だった。その対応には巨額な資金が必要とされたことから自動車メーカーはレースから撤退していく。空白期間は8年という長期間にわたったが、レースへの復帰にはあるプロジェクトが秘められていた。
「82年にパジェロを発売しましたが、クロスカントリーは一般に浸透しておらず、期待どおりの販売台数をあげることができませんでした。企画担当者がどうしたら売れるのかを模索していたときに、アフリカ大陸を走るパリダカというレース聞きつけてきたんです。しかしノウハウを何も持たないことから、フランスの代理店に委託して外人ドライバーによって参戦し、3年目にポルシェを抑えて優勝することができました。そのニュースはヨーロッパでは報じられたものの、日本ではまったくといっていいほど紹介されなかったんです。外国人ドライバーでは日本では話題にならないということで、僕に白羽の矢が立ったんです。86年にハンドルを握ったパリダカはノーマル車で参戦し完走。翌年は本格的に臨むことになったものの、ワークス車もまたノウハウがないことからその代理店の車に手を加えて挑戦したところ3位に入ることができたんです。ワークス車となったことから、すでにレース参戦していた俳優の夏木陽介さんが監督。帰国後、記者会見が予定されていましたが、成田空港に降り立つと報道陣が大挙して押し寄せていたんです。その姿を見て夏木さんと誰か有名な人が同じ便に乗っていた?と話しながら進んでいくと、僕たちの前にカメラマンが押し寄せフラッシュの嵐。これまでモータースポーツが一般マスコミで取り上げられる機会がなかったので予想もしていなかったこと。ただただビックリするだけ。
実はこの年のパリダカをNHKが毎日のようにニュースの中で取り上げてくれていたんです。NHKサイドは、日本も豊かになったしもう少し余裕を持った人生を、ということでスポーツなどにも力を入れていた時期と重なったんです。そのスポーツも日本では馴染みがなくても世界的に権威ある種目を紹介したんです。ヨットのアメリカズカップ、自転車のツールドフランス、そしてパリダカだったんです。朝のニュース番組で毎日のようにレース速報を流してくれたほか、夜のスポーツコーナーでも公共放送でありながらも『パジェロ・篠塚・パリダカ』を連呼してくれていたんです。とくにニュースの中で取り上げてくれたのは興味のない人にもラリー競技という存在を知ってもらうことになりました」
その後、時間はかかったものの97年に悲願ともいうべき、日本人として初めてパリダカで優勝を手にすることになる。この年、篠塚さんは48歳。「ラリー競技は経験値が求められますが、50代となれば難しい、ギリギリだったと思います」と話す篠塚さんの表情からは苦労の末という達成感というより、素直に走ることに喜びを見出しているようだった。

ソーラーカーも加え快走は続く

shinoduka決め.jpg自身のソーラーカーチームを結成し、2014年には当時の世界最高速度記録を更新。また現在もアジアクロスカントリーなどラリー競技を続けている。最後に、その名を世界に広めたラリーの魅力、今後の目標などについて語ってもらった。
「ラリーは毎回、新たなレースを走る感じになるんです。パリダカと一口に言っても毎回、違うコースとなり、仮にまったく同じコースになったとしても1年に1度の大会ですか、いつも新鮮な気持ちで気分一新して走れるのが良いんです。もちろんレース中は景色を眺める余裕はありませんが、レースは長丁場だけに地元との接触もあるので、旅気分も味わえることができるんです。来年は古希を迎えますが、その節目としてアフリカで走りたいなって思っていて、現在、計画を練っているところです。70歳は1つの区切りになりますが、その後のことは考えていません。レースを辞める理由もないし、とにかく今も走るのが楽しくてしようがないんです。そう思える間はずっとハンドルを握り続けていきます」

 

※プロフィール
しのづかけんじろう
1948年11月20日、東京都大田区生まれ。東海大学在学中にラリー競技を始め、卒業後三菱自動車に入社。社員ドライバーとして国内ラリーで活躍し、1974年から海外ラリーに出場。オイルショック、排ガス規制などで不遇の時代を経験したが、1986年にパリ〜ダカールに出場。翌87年に総合3位、88年総合2位、そして97年には日本人初の総合優勝を果たす。その一方、91年のWRCアイボリーコーストラリーで優勝。WRCにおいても日本人初の優勝を手にするなど、ラリー界のレジェンド。現在は安全運転等の講師として全国各地で講演しているほか、スポーツドライビングのためのスクールも開催。もちろんクロスカントリラリー、クラシックカーラリー、そしてソーラーカーレースにも参戦するなど、生涯現役のドライバー人生を歩んでいる。
オフィシャルHP:shinozukakenjiro.jp/

 

※ここで掲載しているのは一部です。全文は是非、本誌でお楽しみ下さい。

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