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倉敷(岡山県)

感動の連続

大原-全景.jpg陽の光を浴びて白壁は目映いばかりに輝く。川沿いに植えられている柳はいまも十分に緑を称え、そよ風に揺られ風情を醸す。再訪してほんのわずかの時間だったが、目の前に映し出される美観地区の姿に見とれてしまっている自分に気付く。歳を重ねると苦手だった食べ物が不思議と食べられるようになる。口の悪い知人は、それだけ感覚が鈍くなっているからだというが、そんなことはない。人生経験を積むことで、感受性が磨かれるからだと反論している。もっとも旅人がそんな感受性を持っていないことは自覚するも、さすがに日本を代表する観光地であるという事実は、疑いようがない。
倉敷川沿いを歩き出すが、なかなか足が進まない。町のすべてが見どころだらけで、1歩進んでシャッターを切るという繰り返しだからしようがない。30年前にタイムスリップすればいくらフィルムがあっても底をつく。デジタルカメラの恩恵を知るのだった。

美観地区の代表といえば、大原美術館。中でも代名詞にもなっているのが、エル・グレコによる「受胎告知」。悲しいかないまなお絵心までは育まれてはいないが、キリスト誕生の報せが輝かしい色彩で表現され、ただただ立ち尽くすばかり。また輝きという点で楽しみにしていたのが、クロード・モネの睡蓮。睡蓮は一連の作品であるので、それぞれの評価は分かれるともいわれているが、モネといえば印象派の代表的な作家であり、しかも「光の画家」を欲しいままにする。本人から直接購入したというストリーも淡き光の様に輝く。旅人が好きな画家の1人としているのは、メガネ雑誌の編集部であることも無関係ではない。

それにしても、私立としてこれほどの世界の名画を所蔵しているとは。設立者の大原孫三郎の偉大さを感じてしまう。画家にとってパトロンの存在を外すことはできない。稀代の実業家とは芸術や教育の振興にも情熱を注ぐのだろう。大原美術館は、氏が援助していた洋画家、児島虎次郎を抜きに語ることはできないだろう。日本にあることが奇跡といわれる受胎告知も虎次郎の功績によるところが大きい。残念なことに、虎次郎は47歳の若さで天国へと旅立ち、逝去した翌年に建てられたのが、この大原美術館だった。
また第二次大戦時は、軍需工場のあった水島地区は何度も爆撃に遭い、隣県の広島は原子爆弾が落とされているなかで、倉敷市中心部は戦禍に見舞われなかったという。最近、DVDで「ミケランジェロ・プロジェクト」を鑑賞したばかり。第二次世界大戦下にナチス・ドイツ軍によって強奪されたヨーロッパ各国の美術品を奪還すべく戦場古町3.jpgに向かった特殊部隊を描いた実話だ。日本の文化財を空襲から外すことを進言した、ウォーナーリストに大原美術館の記述はないとされている。市中心部にある大原美術館が無事だったのは、著名な絵画とともに、パトロンと洋画家という枠を飛び越えた深き愛情物語がそうさせたと信じたい。

瀬戸内からの贈り物

塩1.jpg美観地区から南下して車で20分程で瀬戸内海と出会うことができる。沿岸部には小高い山が並び、鷲羽山展望台の案内を見つけ向かうことにする。
標高は133mということで眺望はあまり期待していなかったものの、展望台からの景色は圧巻の一言。眼下には穏やかな瀬戸内、そして岡山県と香川県を結ぶ瀬戸大橋を一望することができる。全長約38㎞メートルの世界最大級の橋梁が並ぶ様は、レインボーやベイに比べて華やかさはないが、本州と四国を結ぶ大動脈という使命感に胸を張っているようだった。
またこのエリアは児島地区。この名前を聞いてピンとくるからは、きっとジーンズ通。繊維産業が盛んで、国産デニム発祥の地として知られる。その雰囲気を味わうには、ジーンズストリートに足を運ぶのが良い。旧野崎家住宅から野崎の記念碑を結ぶ約400mの通りにショップや工房が軒を連ねる。

しかし旅人にはジーズよりも、旧野崎家に目が行ってしまう。何しろ古い家が大好物で、名家などともなれば見学せずにはいられない。そこで旧野﨑家に向かえば、「塩田王国」を築いた、野﨑武左衛門が建てた民家というではないか。さすが王国の主らしく、普請といい作庭、白壁の蔵が建ち並ぶ姿にあ然とするばかり。
苔むした庭に日本の情緒を感じ、野﨑家が住まいの中心と中座敷は、向座敷まで9つの座敷が連続し、その距離は42mという。わがウサギ小屋がいくついるのかと考えてしまう。表書院から眺めることができる庭園は、枯山水。築山が設けられているほか、三尊石を立てて陰陽思想を表現し、四季の移ろいを楽しませる樹木が効果的に配されている。また展示館も併設され、ここでは塩造りの工程などが紹介されるなど、改めて塩の有り難みを感じてしまう。
もっとも塩は、神聖な供え物である。展望台があったのは鷲羽山(わしゅうざん)。旅人の記憶にあるのは、鷲羽山(わしゅうやま)。そう、ご当地力士であったことを知る。旭國、北瀬海らとともに小兵旋風を巻き起こしたことをしっかりと記憶している。塩に、小兵力士の勇ましにあやかりたいと思うが、塩好きになればなるほど、酒が進んでしまうのは左党の悲しき性。何と塩梅とは難しいものか。

この町のオススメショップ

お客さんが喜ぶ笑顔のために 【小林メガネ】

小林・店内メイン.jpg倉敷駅から美観地区に向かう途中、その山陽地区を代表するロマン漂うロケーションに溶け込むような商店街の一角に小林メガネがある。風情を感じさせる外観、そしてウインドに飾られたアートに引き寄せられるように自然と足が進む。
店内に目を移すと、昭和のムードが漂い、木製ケースに収まったテストレンズセット、歴史を感じさせる検査機器に目を止めていると、「このオートレフは初期のモデル。アナログというか昔のものはなかなか壊れないの。私と一緒」と悪戯っぽく笑う。巧みな話術に引き込まれ、取材を忘れてくつろいでしまいしそうだ。
創業は大正11年で当初は小物や万年筆など扱っていたが、戦後からメガネ専門店として歩んできている。体調に不安があった創業者である父親の後を継いだのは、広島県福山市の老舗眼鏡店で修業を終えた20歳の頃。「父は民生委員もしていましたので、家族を養わないといけないので大変でした」と述懐するが笑顔を絶やすことはない。この奉仕の精神はしっかり小林さんにも受け継がれ、商売をしながら15年間にわたって保護司を務めてきたという。こうした生き方が、もてなしの心や居心地の良さを映し出しているのだろう。
これだけでは終わらない。草月流の師範であり、手芸も得意。手作りの手毬やオーストラリアのアートなどがメガネとともに飾られ、癒やしの空間を作り上げている。何でもお弟子さん達には、「メガネは買わなくていいから遊びに来てね」がお決まりの言葉らしく、心のふれ合いこそが、小林メガネの一番のメ小林・手毬縦.jpgッセージとなっている。
もちろんメガネに関しては、50年以上のキャリアをもつベテランの認定眼鏡士。しかも実年齢を感じさせない若々しさも印象的。「皆さんから元気をもらっていますから。それと辞めるきっかけがないんです」と微笑む。そんな小林さんも、古希を前に企画したイベントで区切りをつけようと思っていたところ、それぞれが自身のコレクションを展開する2人の若手デザイナーと親交を持つことで、「刺激を受けて、もう一度リセットすることにしました」とモチベーションを高め、「80歳までは元気に仕事を続けたいですね」と力強く話してくれた。

SHOP DATA

小林・商品.jpg小林メガネ
住所:倉敷市阿知2-17-23
TEL&FAX:086-422-0550
営業時間:9:30〜18:30
定休日:月曜日
取扱ブランド
エスプレンドール、フィアットルックス、KOOKI、ミズノ、エンパイヤ、PADAMA IMAGE、Fascino Ribelle など

店長のおすすめモデル
上:Fascino Ribelle F13/020
中:ハマモト HT-533
下:PADAMA IMAGE Spoon

店のマスコットの看板猫を抱く店主の小林ヤスエさん、その隣は長女の古林恵美さん。

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