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下高井戸(世田谷区・杉並区)

幸せを招く

豪徳寺ー俯瞰.jpg世田谷線沿線で訪れたかったスポットがある。それが豪徳寺。下高井戸から二駅目であるから十分に許されるエリアであろう。
ご存知の方も多いと思うが、ここは井伊直弼の墓所。それよりも旅人惹きつけて止まないのが、招き猫発祥の地であること。犬を飼っている無類の猫好きであるからだ。いつの日か猫と暮らすことを夢見ているが、それではわが家の大切な一員に申し訳ない。猫カフェに本気で通うと思っているが、その世代でないことは自覚しており、ならばキャラクターに頼るしかない。
実は編集部にも近い浅草エリアにも、招き猫発祥とされる、今戸神社がある。お寺と神社の違いではなかろうが、この今戸神社は、大きな招き猫が鎮座するなど、推しの強さが印象的だった。一方の豪徳寺といえば、彦根藩主の井伊家の菩提寺でもあるだけに、静かな佇まいを見せている。本堂にも招き猫の姿はなく、一体どこに隠れているのかと思えば、案内看板に従い向かえば、招福観音堂脇にたくさんの招き猫が奉納されていた。
一般的に招き猫といえば、商売繁盛の縁起物として知られているが、豪徳寺の招き猫は、招福猫児(まねぎねこ)と称し、祈願成就として奉納されるもの。井伊直孝が猫により招き入れられ、雷雨を避けることができたとともに、和尚の法話を聞くことができたことか菩提所となったことが、発祥の由来とされている。もちろん招福猫児の手に小判は握られていない。
由緒正しき猫たちに別れを告げて寺を後にすると、参道から土塁のような跡を目にする。豪徳寺がある場所はその昔、奥州吉良家が代々居を構えた世田谷城。豪徳寺が建立されている場所が本丸といわれているが、詳しい資料がのこされていないことから定かではないらしい。いずれにしても、ハイソな町として知られる世田谷の歴史に触れることが出来たのは幸運だ。

平和・共生を考える

今度は京王線沿線への旅に出る。世田谷線でも二駅目までとするなら、ここでも従う賀川.jpgしかないだろう。西に二つ目の駅となる上北沢で下車することにした。
下高井戸エリアはアクセス良しの住環境ではあるが、観光資源が皆無であるはずがない。長年旅を続けてきた旅人が学んだことと言えばカッコ良いが、事前調査を怠らなかっただけのこと。インターネットのありがたさを知る瞬間でもある。
その1つが、賀川豊彦記念松澤資料館。恥ずかしながら氏の存在を知らなかった。もし同じような読者がいればと思い、ここで氏の足跡の一端を辿ってみたい。賀川氏は、明治末〜昭和期の社会運動家であり、キリスト教伝道者。幼い頃に両親を亡くし、病身でありまた苦難な環境の中で、キリスト教を信仰して神戸神学校に進み、在学中からスラム街に居を構え、伝道と救済活動に入る。また神戸川崎・三菱両造船所の労働争議の指導的役割を果たし、東京本所のセツルメントなど、労働運動、農民運動、協同組合運動、平和運動の先駆者として活躍。
また協同組合の父ともいわれ、この松沢資料館の前身となるのが、賀川氏の指導によって設立された松沢協同組合。協組は67年間の歴史で幕を閉じたが、賀川氏への恩返しとして寄贈されたもの。

先人達を敬う

和田・土生墓.jpg下高井戸駅に舞い戻る。
地図を広げて見ると、甲州街道を渡ったところに広大な霊園があることを知る。そういえば、歴史上の人物や著名人の墓を巡って故人の足跡に思いを馳せる人たちを指す、墓マイラーが密かに人気だとか。モラルが問われるものだが、そうえいば旅人も墓マイラーの1人かもしれない。歴史を辿れば必ず墓所に突き当たる。自慢するほどではないが、全国的に墓所を巡ってきたことは事実だ。
その墓所はといえば、築地本願寺和田堀廟所。関東大震災により罹災した築地本願寺の再建にあたり墓地の移転が必要となり、和田堀廟所として設立された分院。ここには多くの著名人たちが眠っている。その筆頭となるのが、樋口一葉だろう。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」などを残し、わずか24歳で生涯を閉じてしまう。女性の肖像画がお札に使用されているのは、神功皇后、紫式部。民間人女性として表面に肖像画として載っているいるのは、一葉が初めてとなる。しかも高額紙幣の5千円。さらにこの墓所でも唯一、墓地を示す案内看板が設置されてもいる。
このほか、佐藤栄作、古賀政男、中村汀女、水谷八重子、笠置シヅ子、大藪春彦らが眠っているが、すべてをお参りしたわけではない。しかしこの墓所にはお参りを欠かすことができない方が眠っている。それが、土生玄碩(はぶげんせき)だ。
江戸後期の眼科医で、西洋眼科の始祖とされ、またシーボルト事件に関わった1人でもあった。江戸に寄ったシーボルトに、今でいう散瞳剤の情報提供のお礼に、葵のご紋が入った紋服を差し出す。しかし将軍拝領品であった紋服であったことから、シーボルト事件の責を問われ、晩年の大半を刑に服すことになる。
すでに奥医師として富や名声を築いていながら、国禁を犯したのはきっと眼の病で苦しむ人たちを救いたいとする一心からだろう。その後、徳川家慶が眼病に罹り、玄碩の子、玄昌が呼ばれ治療を行い奥医師に復帰し、玄碩も赦免され開業医になったという。

この町のオススメショップ

くつろぎの空間で味わうホスピタリティ 【あいびい眼鏡】

アイビイ・内観メイン.jpg下高井戸駅を中心に縦横にわたって商店街が展開され、和モダンな外観が印象的なショップが現れる。それがあいびい眼鏡で、おしゃれな個人店が多いことで知られる同エリアを代表するかのようなショップだ。
店内に入れば、その雰囲気はさらに高まる。間伐材を使用した什器、床には北海道のナラ材を使用し、そして壁紙には沖縄の月桃を使用。天然素材をふんだんに使ってこそ感じることができる安らぎの空間は、眼鏡店としてはなかなかお目にかかることができないだろう。「本来ですと照明1つをとっても商品映えするような店づくりが求められると思いますが、メガネは極めてパーソナルなアイテム。お客さんとスタッフとの関係が何より大切で、そこにはくつろげる場所が大きな意味を持ってくると思うんです」と話すのは、オーナーの杉本佳菜子さん。
顧客との結び付きをコンセプトとしているのは、同店の歩みと深く関わってくる。すでに半世紀近くの歴史をもつが、眼鏡店を経営する家系ではなかった。ただし創業者である現オーナーの父親が勤務していたのは、大手ガラスメーカー。人事畑を歩んでいたが、眼鏡レンズ事業を担当するようになり、多くの業界人との出会いを通じて、メガネが持つ使命に魅力を感じて創業することになった。
在籍中にわずか7坪の店を長男と職人に託してオープン。すでに眼鏡学校の通信制として眼鏡学を学んだ父親も退職を機に現場に立つようになるが、不幸にも長男が急逝されたことから、現オーナーが後継者として店を手伝うようになる。
「父は大変恵まれていたんです。順天堂大学の中島名誉教授、そして銀座の岩崎さんから光学やメガネづくり教えていただきました。アイビイ・サブ縦2.jpgそうはいっても日も浅いことから、店では失敗することも。でもとにかく明るい性格で、持ち前のパフォーマンスで失敗も許されてしまうような人だったです」と杉本さん。93歳まで店頭に立っていたというから、メガネという第二の人生は、きっと天職だったのだろう。
そんな人柄もあって顧客の支持を集めて規模を拡大する一方、眼鏡専門学校生のアルバイトや卒業生を受け入れるなど、後進の育成にも貢献していく。「この近くに住んでいたこともありましたが、地縁とは程遠いものです。ここまで育てくれたのは、多くのお客さん、スタッフ、また取引先などこれまで出会ったすべての方々のおかげです」としみじみ語る。
これまでセット商品に比重をおいていたが、スタッフからのプロパー転換への提案で厳しい時代も乗り越え、また現店舗へのリニューアルもまたスタッフの一言がきっかけだったという。「今の私の役目は、顧客とスタッフともに居心地の良い空間で、その関係をさらに醸成させていくことです」と杉本さん。こんな風通しの良さもきっと、顧客にとっては魅力として映っていることだろう。

SHOP DATA

アイビイ・商品.jpg住所:世田谷区赤堤4-45-12
TEL:03-3325-3010
FAX:03-3327-0908
営業時間:10:00~20:00
定休日:無休(正月三箇日を除く)
HP:ivy3.jp/
取扱ブランド
999.9、AKITTO、GROOVER、OAKLEY、REC SPECS、OWL、YCONCEPT、ラインアート、チタノス、タレックスなど

 

店長のオススメモデル
上:フォーナインズ M-100 中:AKITTO has1 下:GROOVER FRANKEN
スタッフの後藤 崇さん、石原  博さん、佐久間博司さん

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